PROFILE

 

 

TASOGAREXとは、今のところ東京に拠点を置く50代男性である。40歳を過ぎてから子供ができ、それを契機に結婚をして家族もいる。

自己紹介がてら少し自分の過去を振り返ってみようと思う。

阪神淡路大震災や、オウムの事件のニュースを見ながら履歴書の空欄を埋めようと頭を抱えていたのを今でも覚えている。就職氷河期と呼ばれた時代で、入口は最初から狭かった。いろんな会社に希望を出してもなかなか内定はもらえず、大学4年の秋になってようやく内定をもらった唯一の会社に新卒で入りはしたが長くは続かなかった。夜遅くまで灯りの消えないオフィス、心を削る満員電車、深夜のコンビニ。外側の景色は、いつも似たようなものだった。

物書きの仕事をしていた時期もある。原稿料の入金日と支払い日を並べて確認する生活だった。締切に追われる割には実入が少なく、暮らしは荒れた。先の生活に光が見出せず酒浸り、自分に足りない何かを安易に求め、その場のノリで薬物にも手を出した。同居していた人間は過剰摂取で死んだ。部屋に残った空気と、警察や周囲の視線だけが長く続いた。心も体もとっくに壊れていて、思った以上に長い入院生活になった。白い廊下と決まった消灯時間。時間だけが余っていて生まれて初めて小説を読み終えることができた。それがたしか30歳頃だった気がする。

退院後、手元にあった現金をすべて持って格安航空チケットで逃げるように日本を出て、着いたシンガポールの空港で復路のチケットを捨てた。東南アジアの国をいくつか回るも日本に戻る気になれず、さらにネパールやインドにも足を延ばした。移動は安いバスや鉄道が中心で時にはボートも利用した。宿は最低限の部屋だった。いわゆるバックパッカーのようなルートを辿ったが、金がなくバックパックすら持っていなかった。

帰国後、給与から天引きされる形で寮の部屋が与えられる期間を区切った工場仕事に入った。決められた速度と、合図で区切られる休憩時間。そこで一定程度の金を貯め再上京すると、契約社員→派遣社員→正社員と、働く場所や雇用形態や肩書きは変わっていったが、それらがどうであれ、いつもどこかに気持ちの悪さがあった。結局のところそれは、自分以外の誰かに雇われ組織で働く違和感で、席はあっても落ち着く場所がない感覚が続いた。

不惑を迎える頃、独立した。制作系の仕事を生業にしている。広告代理店から依頼を受け、広告まわりの簡単なビジュアルやコピー、webサイトなどを作る。報酬は案件ごとの請負で、月ごとの波は大きい。コロナ禍以降、この業界は冷え込み、仕事は減った。空いた時間で別の取り組みにも手を出した。小さなサービスやコンテンツを立ち上げ、少しずつ形にしているが、収益はまだ物足りない。

近年の投資ブームにのり独立以降に貯めた資産の運用もはじめている。生活に困るようなことはもうないが、この程度で満足する気にもなれない。

過去を並べても一貫した物語にはならない。ただ、そうなった、という事実が積み重なっているだけだ。そして今も、状況は進行形だ。

机の上にはやるべきタスクの走り書きメモ、窓の外では天気が変わる。先のことは分からないが、どうなるか分からないまま立ち尽くしているわけでもない。何かを成し遂げたとは思えないけど、状況がどう転んでも、なんとかしていくことはできると思う。

もしかしたら、その感覚だけがこれまでの積み上げと呼べるものかもしれないと、ここまで文章を書いてきて気がついた。